2009年12月11日金曜日

自分の言葉で考えること

「相手が分かる言葉で伝える」ことと「自分の言葉で考える」ことは両者とも大切なことであり、私について言えば、「自分勝手な言葉を使わず周りの人も分かるような共通言語で喋りなさい」と指導されることも多く、それはもっともなことではあるのだけど、それより先に、そもそも伝えるべき中身である「自分の言葉で考えたもの」が何一つない、何一つないとは言わなくとも、圧倒的に不足している、ということは以前から自明であり、今も持ち合わせていないということも自覚しています。「コミュニケーション能力がないと嘆く前に、伝えるべき中身がないことを憂え」という言葉のとおりです。

そして、「相手に伝える方法」を学ぶ前にそもそも「自分の言葉で考える」訓練をしないと先はない、と考えて、就職活動生向けのコミュニケーション講座だとかマナー講座だとかに行かずに「自分の言葉で考える」訓練の場としてブログを始めたのは、今からちょうど1年程前のことで、ある程度成果を上げたはずだったところを、ところが半年前にブログを書かなくなってからは、またも「自分の言葉で考える」ことを怠けるようになってしまっていたのでした。

どういうことかを具体的に説明すべきかもしれない、例えば、サービスについて分析する際には、「○○モデル」「○○モデル」「○○モデル」に分解して説明すると分かりやすくて良いです、と言われたとして、これに当てはまるようにサービスを分析していたら、それはサルだということです。
こういったモデルを考えた人だけが優秀で、それに沿って機械的にサービスを見ている人はサルだということです。もちろん私のことを言っています。

多くの相手が理解できるように伝えるためには、共通言語として先の3つのモデルを利用すること自体が、優れた方法であるということに疑問を挟んでいるわけではありません。
私が言っているのは、「相手が分かる言葉で伝える」の部分ではなく、「自分の言葉で考える」の部分についてです。
最終的に相手に伝える方法として、先のモデルを使用するにせよ、考えるときには、自分の言葉を使って考える、それでこそ人間だろうと思います。